この壊滅的な状況で、秀吉と政宗を思い出した。2人の違いとは・・・
令和元年後半の消費増税、令和2年序盤の武漢肺炎により、発生した
第2次世界恐慌。先日、こうした未曾有の状況ともいえるなかで、
インターネット講座を主催したのだが、ふと2人の人物を思い出した。
豊臣秀吉と伊達政宗である。今日はその2人について述べようと思う。
豊臣秀吉は、ご存じの通り尾張中村の農民あるいは父親が足軽程度の出身で、
出自はよく分かっていない。初めは今川義元に、その後で織田信長に
奉職している。いわゆる社会の最底辺とも評された身分から、メキメキと頭角を
表し、織田信長の後継者そして天下人になった。世界的にも珍しい人物である。
尾張という今川や織田などの家にアクセスしやすい場所に生まれたことや、
秀長という奇跡的な弟にも恵まれたことが、秀吉の出世の要因と言える。
伊達政宗は、遅れ来る天下人とも呼ばれる。17歳時点での政宗は、信長とは比較に
ならないほどの才を発揮し、実績も申し分のないものであった。しかし、誕生が
30年ほど遅れたため、天下人豊臣秀吉に屈することになる。
このとき、たしか政宗20代、秀吉は50代ではなかったか?
なにが言いたいかというと、地の利や周囲のひとに恵まれることは、大切なのだが、
タイミングも必要不可欠ということだ。秀吉も生まれた場所や、弟の秀長という
要因があったが、生まれがあと30年ほど遅かったら、おそらく天下の趨勢はほぼ
決しており、天下人にはなれなかったと思う。
今は、世界がガタガタになってきているが、インターネットでまとまったお金を稼ぐ
ことには良い時期と言える。また、そのお金を投資に回すことで、いわゆる逃げ切る
状態にもっていくことも、比較的容易と言える。あと30年遅かったら、これはもう
できないのかな、あの時と同じように、とも思う今日この頃である。