くじ引きによる選出後、石打の刑というサイコホラー🐱💦
Shirley Jackson の作品The Lotteryは、不合理とも思える慣習が集落を支配していると状況で話が進む。この作品に関して、旧約聖書・新約聖書を参考に、考察していた論文が参考になった。本作品を把握する上で重要なのは、「くじ引き」「生け贄」「石打の刑」の3つであり、これらは旧約聖書から原型が取られていると考えられる (山口, 2005)。よって、The Lottery単独を考察するよりも、原型があると見受けられる旧約聖書・新約聖書との比較を随時行うことが、より深い理解となると考え、この論文と旧約聖書・新約聖書など参考に、作品を考察していく。
本作品内では、p8からp11にかけてくじ引きにより石打の刑で殺害される者が選ばれることや慣習について書かれている。現代社会においては、くじ引きは宝くじから連想されるように、何かよいことと関連付けられている印象があるのではないか。旧約聖書の中でも頻繁にくじ引きが行われていることは知られているが、くじ引きの結果により人が殺されてしまうなどということは書かれていない。しかし、何かを決定する際にくじ引きを用いるという点に関していえば、本作品の舞台である集落でのこの慣習は旧約聖書に由来するものであると考えられる。くじ引きの結果、人が一人殺害されるということは、くじ引き以外の方法でその人を選出する場合、誰がどのように選ぶのかという責任問題が生じる。くじ引きにしておけば、責任の所在が特定の個人にあることはなく、くじを引く人全てにとって公平であるといえる。さらに旧約聖書にくじ引きで何かを決めることが頻繁に現れるので、この時代の米国人にとっては、妥当な方法であると捉えられるのではないだろうか。
次に、くじ引きによって選ばれた人が殺害される理由を考えてみたい。本作品でくじ引きによって選出されたMrs. Hutchinsonは過去に犯罪歴・逮捕歴などはない。彼女はいわゆる善良な一般人であり、くじ引きについて「It wasn’t fair!」(Jackson, Shirley (1981). The Lottery. 金星堂. P18.)と述べている。この慣習がいつから行われているか、そしてなぜ生け贄ということが始まったかについては本作品では述べられていない。旧約聖書には人間を捧げ物として神に捧げるという記述は、アブラハムが息子のイサクを神に捧げるようにという命令がある。旧約聖書の中ではイサクは最終的に犠牲とはなっていないので、本作品は旧約聖書よりも悲劇的といえる。
さらに石打の刑について考えてみたい。作品内では、「Mrs. Hutchinson screamed, and the they were upon her.」(Jackson, Shirley (1981). The Lottery. 金星堂. P23.)とあるように、くじ引きにより選出されたMrs. Hutchinsonが石打にされている。旧約聖書・新約聖書の中で石打にされて殺害された人で有名なのがステパノである。他にもモーセやイエス、パウロなども石打の刑にされて殺害されようとしていたことも書かれている。彼らは神への冒涜・社会秩序を乱すなどの理由を恣意的に挙げられ、上記のような話となった。一方作品内のMrs. Hutchinsonはそのようなことはなく、ただくじ引きにより選ばれた。この点が非常に釈然としないという感情は、選ばれた当人が一番抱いているであろう。
本作品は文学のジャンルでいえば、サイコホラーまたはそれに近いといえる。本作品においては、「くじ引き」で「生け贄」となる人を選出し、その人を「石打の刑」で殺害するわけであるが、殺害に加わった者は、午後には平然と日常生活を送っていることが、「人間が最も恐ろしい」と思わせる一因なのかもしれない。本作品の慣習は、旧約聖書に原型があるとも推察され、西洋社会における権威と言える聖書を権威付けの道具に使っている人間という構図も読み取れる。この権威付けは、現代社会における犯罪などにも悪用される可能性は充分にあり、本書を読むことによって、このような構造に気付けるという実用的な面もあるのかもしれない。「文学不要論」などという話もあるようだが、人間の精神を理解する点で、文学は充分に役に立つともいえる。
落合和昭(2005)「Shirley JacksonのThe Lotteryと『旧約聖書』―「くじ引き」と「生け贄」と「石打の刑」―」
http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/18001/spffl063-01.pdf (2022.9.19.閲覧)
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